だいたい32×32で、麻生政権を振り返る。

麻生政権 2008年9月24日から2009年9月16日をドット絵で振り返っています。

20090819@日本を愛しているという気持ち


麻生首相、逆風でも余裕!?選挙よりのりピー稼頭央に興味
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090819-OHT1T00069.htm
18日公示された衆院選について麻生太郎首相(68)はスポーツ報知などのインタビューに答え、逆風下の選挙戦ながらも「与党過半数で政権を維持する」と宣言した。

取材日は公示前日だったが、選挙の話はそこそこに薬物問題から野球、果ては人生論まで冗舌に語り、緊迫感のかけらも感じさせなかった。
自信家、楽観主義者で知られる首相だけに、この逆風でさえも勝利への道が見えているのかもしれない。

自民党への逆風が強いが、手応えは?

衆院解散前とその後は雰囲気は変わったかな。1日から街頭遊説を始めたが、都議選で各候補を回ったときと比べて、途中で帰る人の数が圧倒的に少ない。若い人の数も多いと思う。演説をよく聞こうという有権者の意識がある」

―昨秋の首相就任以降、選挙を先送りしたが、逆風を予想できたか?

「当時は米国の金融危機が起きて政局より政策だった。『あの時、解散していたら…』は結果論であまり意味がない」

―勝敗ラインは?

自民党の公認候補を1人残らず当選させるのが当たり前。全員が精いっぱい戦っている最中に『何点以下なら辞めます』みたいな安易な話はすべきでない」

―4年前の衆院選小泉純一郎元首相は「与党過半数割れなら退陣」と明言し退路を断った。首相にその覚悟があるか。

「当然、過半数を取った上で引き続き政権を担う覚悟で選挙に臨んでいる。ただ、首相になるのは手段であり、目的とは違う。目的は政治を通して国民生活を、日本を守ること。負けたら職を賭すというのは有権者に対して無礼だ」

民主党鳩山代表より勝っている部分は?

「日本を愛しているという気持ちかな。そこが一番違う」

―小泉元首相は「野党を経験するのも悪くない」と発言した。

「平成5年(1993年)、自民党は第1党だったが、細川内閣が誕生し、約10か月間野党を経験した。当時私は副幹事長だったが、あの時は予算成立が7月で、景気はこの年を境にドーンと悪くなった。政権についていないと正しい政策が行われない。安易に『野党になるのも悪くない』と評論家みたいな話をするつもりはありません」

―ところで、自分を歴史上の人物に例えると。

「今までで最も難しい質問だ(笑い)。歴史は嫌いじゃないけど、考えたこともないので…。うーん、ちょっと分からん」

―タレントの酒井法子容疑者の薬物事件をどう感じたか。

「麻薬に関して日本は先進国で最も厳しく取り締まっている国だ。なんとなく…昭和20、30年代前半に比べれば、今は『ドラッグはダメ』という意識がだいぶ浸透していると思う。暴力団の銭の稼ぎ元になっているんだからきちんと取り締まらないと」

―若者の間に閉そく感が漂っている。

「今はなんとなく勉強ができて、いい大学を出て、いい会社に入ったらハッピーかというとそうじゃない。もっと別の分野で才能が伸ばせるというのがいい社会なんだと思うね。
『この路線を外れたらアウト』というのは社会としてかなり柔軟性を欠く。演説でも『子どもには夢を。若者には希望を』と言っている」

―なるほど…。

「だってあんた、松井稼頭央(米アストロズ)は投手から二塁手にコンバートして成功したんだろ。転向した時はショックだったと思うよ。
でも、ブレずに頑張って結果的に2000本安打を達成したんだから」

―首相も閉そく感を打破した経験があるのか。

「自慢じゃないけど、俺はほとんど勉強しなかった。俺の弟もしなかったんだけど、えらいできやがったんだ。人間は同じ種と畑、同じ屋根の下で育っても全然違う、人間は平等じゃない、と子ども心に思ったよ。

でも、射撃で日本一になったことがきっかけになった。弟は最後まで勝てなかった。小さな部門であれ、日本一。あれが発想の切り替え、転換点になった。そういうことは人それぞれあるよ」


麻生首相“告白”「ほとんど勉強しなかった」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/08/19/03.html
自民党麻生太郎首相(総裁)と民主党鳩山由紀夫代表が18日までに本紙などのインタビューに応じた。
漢字の読み間違いで批判を浴びた麻生氏は少年時代を振り返り「勉強はほとんどしなかった」と明かし、追い風を受ける鳩山氏は「落語を聞きながら寝る」と意外な一面をのぞかせた。

麻生氏が自らの勉強について言及したのは、日本の若者が現在抱いている閉塞(へいそく)感に関して述べた時だった。

「勉強ができた人で一番問題になったのはオウム真理教で、みんな高学歴だった。勉強ができるのと立派な人は別問題。私はあまり勉強ができなかったせいか、そう思う」と多様な価値観を強調。

その上で「私は自慢じゃないけど、勉強はほとんどしなかった。弟はしないのにできた。子供心に、人間には生まれつき才能の違いがあると思った。
(閉塞感打破の)きっかけは射撃で、日本一になったりした。あれが発想の切り替えになった」と説明した。

しかし、漢字の読み間違いは政権にダメージを与えた。今回の選挙は「政権交代」がテーマとなり、小泉純一郎元首相の口からは「野党を経験するのも悪くない」との言葉も。

「93年、細川政権が誕生して野党を経験した。予算成立は7月だった。景気は93年を境に悪くなった。予算がこれだけ景気に影響を及ぼすのかと恐ろしかった」と振り返りながら「安易に政権を野党に渡しても悪くないというような評論家のようなことを言うつもりはない」と反発した。

中日優勝の年は政変が起きるとのジンクスについて問われると「落合監督が好き。彼はおもしろい。でも中日が好きとは言わない」と複雑な笑みを見せた。