だいたい32×32で、麻生政権を振り返る。

麻生政権 2008年9月24日から2009年9月16日をドット絵で振り返っています。

20090916@麻生内閣総辞職「全力尽くした」


麻生内閣が総辞職 首相「道半ばの退任、残念」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090916-00000530-san-pol
麻生内閣は16日午前、臨時閣議を開き、総辞職した。麻生太郎首相は記者会見を開き、「1年という短い期間だったが、日本のために全力を尽くした。残念ながら道半ばで退任することになった」と振り返った。麻生首相の在任期間は358日間で、現行憲法下では7番目の短命政権となった。

首相は在任中の成果として、4回にわたる予算編成などで世界同時不況に対応した経済対策を挙げた。一方で、やり残したこととして「経済対策が道半ばであることだ」と語った。次期首相に就任する民主党鳩山由紀夫代表に対しては「景気回復を確固たるものにしてほしい。テロ対策などで的確な対応を期待している」と語った。

首相は会見に先立つ臨時閣議で「自分の至らざるところを補っていただき、内閣としての使命をここまで果たせた」と述べ、閣僚の労をねぎらった。

麻生首相は昨年9月に就任し、「政局より政策」を掲げ、当初目指した衆院の早期解散を先送りしてきたが、8月の衆院選自民党は惨敗した。首相が退任当日に記者会見を行うのは異例で、本人の強い希望だったという。


麻生内閣:総辞職 7番目の短命「全力尽くした」
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090916dde001010040000c.html
麻生内閣は16日午前、首相官邸臨時閣議を開いて総辞職した。その後、記者会見した麻生太郎首相は「1年という短い期間だったが、全力を尽くした」と退任の言葉を述べた。同日発足する鳩山新政権に対しては「テロや海賊(対策)など、国際情勢に的確に対応してほしい。大いに期待している」とエールを送った。

会見に先立ち、首相は閣議で「自分の足らざるところを補ってもらい、内閣としての使命を共に果たすことができた」と、全閣僚に感謝の言葉を述べた。

昨年9月24日に就任した麻生首相の在任期間は358日で、現憲法下では、片山哲内閣の292日に次いで7番目の短命内閣となった。99年から続いていた自民、公明両党の連立政権にも幕が下ろされた。

内閣総辞職と同時に麻生首相自民党総裁も辞任した。麻生首相は16日午後、職員に見送られて首相官邸を後にした。【坂口裕彦】



「残念ながら道半ばで退任」 麻生首相最後の会見全文
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200909160081.html
【冒頭発言】
先ほどの閣議で、この内閣は総辞職をしました。昨年の9月の24日の発足以来、約1年。国民の皆さまからいただいたご支援に改めて心から感謝を申し上げます。

私は就任時の所信表明で、強い日本をつくること、明るい日本というようなことを、国民の皆さまにお約束をさせていただきました。1年という短い期間ではありましたが、日本のために全力を尽くしたと思っております。

戦後最大ともいわれた世界同時不況への対応、テロ対策や海賊対処などの国際貢献、また、北朝鮮新型インフルエンザへの対策、危機というものから国民を守ること。そして、安心な社会を目指すこと。残念ながら、道半ばで退任することになりました。

いま日本は、多くの難しい課題に直面をいたしております。しかし、振り返ってみてください。日本は64年前、敗戦の焼け野原から立ち上がって、半世紀以上にわたって、平和と繁栄を続けます。これは、諸外国から見て、尊敬される成功モデルでもあろうと存じます。

そして、いま、日本には将来への発展の種が多くあります。特に、今後の経済発展の死命を制する、そういわれております省エネの技術や環境技術において、日本は世界の先頭を走っております。豊かで安心な社会と、そして勤勉な国民性も健在であります。国民の努力、そして政府の適切なかじ取りがあれば、日本が発展しないはずがないと存じます。自信と誇りを持っていると思っております。

その発展のうえに立って、安心社会を築いていくべきであり、あわせて日本は、国際社会の一員として、世界に目を向けていかなければなりません。内向きになっていてはだめです。アジアの日本、世界の日本として、国際社会の安定と発展に一層貢献していかなければならないと存じます。

私は、日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことはありません。これまで、幾多の困難を乗り越え、発展してきた日本人の底力というものを信じております。日本の未来は明るい。未来への希望を申し上げて、国民の皆さんへのメッセージとさせて頂きたいと存じます。ありがとうございました。

最後になりましたが、一年間お付き合い頂きました記者の皆さま方に対して御礼申し上げ、私からのごあいさつとさせて頂きます。ありがとうございました


【政権一年】
――総理がこの一年間、麻生政権で最も実績をあげたというものは何か。それから、やり残した課題というもの、あるいは、こうすれば良かったといま思っているものはあるか。

「歴史の評価が出てくるというには、もう少し時間がかかると存じますが、100年に1度といわれた経済不況、アメリカ発同時不況、リーマン、いつかな、9月の14日ですから、丸1年ということだと思います。この世界初の同時不況に対して、迅速に対応できた景気対策、経済対策、4度にわたる予算編成を半年あまりで、そういう大胆な経済政策を打ったことということが、実績として誇れるのではないか。そういう感じがいたしております。やり残したことといえば、この経済対策はまだ道半ばということだと感じますが」


【鳩山新政権】
――鳩山新政権に望むことは何か。また現政権にとって新政権に引き継いでもらいたい政策があれば聞きたい。

「そうですね。基本的には日本という国の国家国民の利益を守る、すなわち、生活を守る。同時にこれだけ国際社会のなか、193カ国、193というのは国連加盟国の数ですが、193カ国のなかにあって、やはり国際社会の一員として、日本に期待されているものというのは大きい。で、それへの貢献ということで、手法が変わるということは十分にあり得ると思いますけれども、政府として行うべきことにそんなに変わりはないのではないかと思っております。あの、新政権には、景気回復というものは、私はまだ道半ばだと思っておりますので、中国でもどこでも、これはちょっとマクロ経済とか国際金融に理解があれば、いまどういう状況にあるのかということはお分かりをいただけるんだと思いますので、そういった意味では、景気回復というものを確固たるものにしていただけるように努力していただきたいということと、日本を取り巻く国際情勢というものはやっぱり冷戦崩壊後かれこれ20年、ずいぶん変わってきたと思っておりますので、そういった国際情勢、うーん、テロ、海賊、いろいろありますけれども、こういったものへの対処というものを的確に対応していただくということは願ってやまないところでありますし、大いに期待もいたしております」


自民党総裁選】
――自民党総裁選挙のことについて。自民党は今回の敗戦をうけて、政権奪回をはからなければならないが、新しい総裁としてどんな方がふさわしいと考えか。また、何人かが立候補表明、あるいは、意欲を示しているが、意中の方がいれば教えていただきたい。

「ここは自民党がいろいろなベテラン、若手含めて一致団結。これは選挙をやったうえで、地方の意見というものもいろいろありますんで、そういったものをとりまとめたうえで、一致団結をはかっていかねばならんところだと思いますんで、あの、選挙、総裁選挙が終わった後、きちっと対応ができる、そういった自由民主党として何が問題だったのかという点を踏まえて、いろいろ分析は今からなされていくところだと思いますんで、これを踏まえて、それの対応をきちんとやっていただける方だと思いますんで、やっぱり、日本という国の、何というのかな、どなたかが使われた言葉でしたね、国柄とかいろんな表現がありましたけれども、きちんと日本という国が歴史と伝統をふまえてきちんと立ち上がっていく、そういった基盤というものを腹にすえて対応していただける人物が望ましい。具体的な名前を私の立場から言うことはありません」


麻生内閣が総辞職 首相会見、最後は笑顔
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200909160033.html
16日朝の臨時閣議内閣総辞職を決めた後、麻生首相首相官邸で退任の記者会見に臨み、「1年という短い期間でしたが、日本のために全力を尽くした。残念ながら、道半ばで退任する」と358日間を振り返った。失言を連発して支持率を下げ、結果的に自民党を歴史的惨敗へ導いた首相だが、最後の記者会見は丁寧な受け答えに終始した。

「100年に1度の経済不況、リーマン(ショック)から丸1年。世界初の同時不況に迅速に対応できた経済対策を半年余りで4度打ったことは実績として誇れる」。首相は最後の会見でも「政局より政策」の姿勢を強調した。鳩山新政権には「景気回復を確固たるものにするよう努力していただきたい。国際情勢への対処を的確にしていただくことは願ってやまない」。自民党総裁選で意中の人を問われると、「具体的な名前を言うことはありません」と笑顔で会見を締めくくった。

衆院解散について問われ続けた首相は、解散の決意だけは繰り返し、時期ははぐらかし続けた。特に連日のぶら下がり取材では、同じ質問にいらだち、その様子が報じられて支持率を下げるという悪循環に陥った。対照的にインタビューや記者会見は丁寧。自民党自公政権が継続して取り組んできた内政・外交政策を語る時は特にそうだった。

3月のインタビューでは、ラインマーカーで随所に線を引いた資料を手元に置き、時々目を落とした。緊張からか手がかすかにふるえるようにも見えた。質問が北朝鮮によるミサイル発射の動きに及ぶと、慎重に言葉を選んだ。

「他の国は『ミサイル』、日本だけ『拉致』と言った時、(北朝鮮は)『足並みが乱れた』とか突っ込みたいんだ」。だが、インタビューが終わると「ここで一言感想なんか述べると、ろくなことないからやめようね」。いつもの「麻生節」がのぞいた。

首相周辺は「これだけまじめな政治家はいないというくらい、まじめ。レク(官僚の政策説明)になるとしばしば寝てしまう総理もいたが、(麻生さんは)いつもラインマーカーを引きながら真剣に聞いていた」。ただ、直後のぶら下がり取材では「一変して態度が悪くなった」(周辺)という。バー通いも批判されたが、実は酒は口に含む程度だ。国会や自民党本部のトイレで手を洗った後、洗面台を丁寧に紙でふき取る姿はカメラには映らない。

最後の記者会見で、首相は穏やかに言った。

「歴史の評価が出るには、もう少し時間がかかる」(山浦一人、津川章久)

麻生内閣総理大臣記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2009/09/16kaiken.html